Nateの英語学習ブログ

CEFR C2 を目指す英語学習者のブログ

通訳学校と英語学習

私は半年間ほど土日に集中して通訳学校に通ったことがある。マンネリ化していた頃に違った角度から英語学習に取り組みたいと思ったからである。有名な通訳学校のうちの一つであったが、地方都市であったためか入学試験のレベル分けで上級クラスに入ることができた。この通訳学校では二つの大きな発見をしたのである。

 

一つ目が、学歴や職歴に関わらず英語ができる人が当たり前に存在する、ということである。私は、英→和の通訳の際には、自らの持つ社会常識(あるいは時事問題に関する見識の広さ)や歴史文化の背景知識を武器にクリアな回答を出すことができており、同級生から「なんでそんなに訳せるのか?」と質問を受けるほどであった。私の時事問題の知識は仕事(あるいは投資)で求められ、歴史文化の知識は国立大学受験勉強を通じて、それぞれそれなりに苦労して得たものである。その一方で、和→英の通訳の際には、語彙の不十分さと文法の不自由さによって、今思い返してもひどい回答を繰り返していた。そのため彼らから見れば「なぜ和→英の通訳のスキルがないのにも関わらず、英→和の通訳ができるのか?」という疑問につながったのだろう。しかし、私から見れば「なぜ和→英の通訳がスラスラと出てくるのに、英→和の通訳ができないか?」という疑問が浮かんだのである。

 

二つ目が、英語を教わる先生の発音が自分の理想の発音でなければ英語学習は長続きしない、ということである。私が通訳学校を辞めた主な理由が、通訳学校の先生の英語がノンネイティブかつ日本語なまりの発音だったことである。そもそも通訳学校教師というのも自動車教習所教師と同レベルの守られた世界での肩書であるため、通訳スキルが十分であればネイティブのような発音で話せる必要はないのかもしれない。しかし、私は純粋に通訳スキルを身に着ける目的ではなく英語学習の延長線上に通訳学校を置いていたため、発音という重要なスキルの部分で躓いてしまったのである(なお、東京23区内などの主要都市の先生の質については不明である)。

 

通訳学校においては、他の生徒の通訳回答も同じ教室で聞くことになるため、彼らの英語力を生に感じることができる。と同時に、自分の英語学習の現在地を相対化することもできる。そして自身の英語力の無さへの焦燥感や他人への劣等感は強烈な学習のモチベーションになるだろう。もし英語学習者で通訳学校に興味がある人は、体験授業から初めてみるといいかもしれない。高額だが、志の高い英語学習仲間との出会いの場と考えれば、悪くない選択肢かもしれない。(おそらく私は二度とやらないが)